2016年01月27日

427) 環境を変えると自分が変わる 427) 環境を変えると自分が変わる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「環境を変えると自分が変わる」 について書きます。

『孟母三遷』という言葉があります。
これは、 「子供は周囲の影響を受けやすいので、子供の教育には環境を選ぶことが大切であるという教え。」と辞書にあります。
子どもに限らず人は環境が変わると知らないうちに変わっていくようです。
では、どうして環境が変わると人は変わるのでしょうか。
ここでは、身体に受ける刺激が変わるという観点から考えてみたいと思います。

人は日々刻々と変わる刺激を身に受けて暮らしています。
経験したことのない刺激に対しては意識するけれど、慣れた刺激に対しては意識しなくなるといわれます。
つまり、慣れた刺激に対してはその都度意識しなくても身体が勝手に反応するようになっている。
逆に、慣れない刺激に対してはその都度意識し、それに対する反応を模索するといえます。

ここから身体に受ける刺激を変えるとそれに対する反応が変わる。
反応が変わると結果的に行動が変わることになります。
刺激を変えるには例えば環境を変えればいい。
つまり、「環境を変えれば自分が変わる」ということになります。

こうして環境を選択することで自分を意図的に変えることは可能だと考えます。
他にも『朱に交われば赤くなる』『旅の恥はかき捨て』などがあります。
これらからも、人は環境に左右されやすい、環境によっていかようにも変われるといえるのではないでしょうか。

自分を変える方法は数多あると思います。
ここでは、環境を変える=刺激が変わる=反応が変わる=行動が変わる=自分が変わるとの観点から書いてみました。

twitterでは随時気づいたことを投稿しています。
興味を持たれた方はアクセスしてみてください。https://twitter.com/rakuhomanami
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2015年11月23日

424) 鏡の中の私

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「鏡の中の私」 について書きます。

目は目そのものを見ることは不可能。だから人は鏡に映して見る。
毎朝鏡を見て化粧したり、洋服を選んだりしている。
それでも時々、鏡に映して確認している。
街のショーウインドーに映った自分の姿を見る。
鏡に映った自分の姿や顔を見て何をしているのでしょうか。
どうやら自分のイメージ通りになっていることを確認し、安心しているようです。
つまり、自分が想像している姿と鏡に映る姿が一致していることの確認をしている。
それほど、人は自分の見え方を気にしているといえます。
一日のうち、どれほど自分の姿を見ているでしょうか。
どうしてそんなに見るのでしょう。

人の目が気になる。
人がどう思っているか気になる。
何か言われるのではないかと思うと人の中に出ていけない。
このように語る人たちがいます。


なぜ人は、それほどまでに他者の目を気にするのでしょうか。

こうのように考えていると、鏡の中の自分の姿とそれを見ている自分の関係は、自分と自分を見ている他者の関係に重なってきます。
つまり、鏡=他者。人は他者の中に自分の姿を映していると考えられます。
もっというと、人は他者を見ているのではなく、他者の中に映る自分自身を見ている。
他者がどのように見ているか=自分の姿
他者に良く見られたい=良い私
他者に好かれたい=好かれる私 etc
だから人は他者の目を気にする。

こうして、私たちは他者という鏡の中の私を見て生きている、他者という自分の姿に翻弄されていると言えるのではないでしょうか。

シニフィアン研究所  http://signifiant-lab.com/
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami
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2015年08月31日

420)根無し草(デラシネ)&関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「根無し草(デラシネ)&関西出張のお知らせ」について書きます。

デラシネとは、辞書によると「根無し草のことで、転じて故郷や祖国から切り離された人」とのことです。ここではこの意味を転じて、「心の居場所から切り放された人=居場所がないと感じている人」として考えてみることにします。

「どこにも自分の居場所がない」
このような表現を聞くことがあります。
物理的に居場所と定められた場所があっても、その本人が自分の居場所だと実感しない限り、意味をなしません。
つまり、居場所があるとは、「ここが自分の居場所だ」と感じる場所があることを指します。この意味において、根無し草(デラシネ)とは「心の居場所がないと感じている人」となります。

ここが自分の居場所だと感じるとはどういうことでしょう。
居場所があるとは、自分が居る居ないに関わらずその場所が確保されているということ。
いつでも自分の座る場所が存在するということではないでしょうか。
自分が気ままに行っても、常にその場があること、あるいはそのように思えること。
もっというと、自分の気ままにしても許される場があるということ、歓待される場があることだと考えます。
たとえ離れていたとしても自分には帰る場所があると思える。 このような場があると思える時、人は「自分の居場所がある」というのでしょう。

それとは逆の場合を根無し草(デラシネ)といいます。しっかり根を下ろしたいと切望しつつ、どこにも自分の居場所がないと感じ、結果的に放浪することとなる。

以上のことから根無し草(デラシネ)人には「定着」という言葉の意味が理解できない可能性があります。なぜなら、「定着」とはしっかりとつくこと、一定の場所に落ち着くことという意味だからです。

では、定着するにはどうしたらいいのでしょう。
それにはまず、自分の場所(席)を作ってもらうことからスタートです。
すべてはそこからです。それができないとその先はないといっても過言ではないでしょう。

蛇足ですが、「定着」以外にも「着」のつく熟語を調べてみると、密着、帰着、決着など興味深いものが出てきます。
興味のある方は一度検索してみてください。

______________________________________

≪9月度関西出張のお知らせ≫

*1日(火)〜3日(木)大阪市・和歌山市

面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座−象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『分かち合う』

*8月31日(月)・9月4日(金)埼玉県大宮市

詳しくは、シニフィアン研究所のHPhttp://signifiant-lab.com/Twitterhttps://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。
posted by あい at 11:01| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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